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堺茶の湯まちづくり条例

堺は、中世、世界に開かれた貿易都市として発展を遂げるとともに、町衆が治める自由・自治都市として繁栄し、進取の気風に満ちあふれていた。その中で、今井宗久、津田宗及、千利休等の多くの優れた茶人が生まれ、なかでも千利休は、わび茶を大成し、茶の湯に大きな足跡を残した。また、当時の茶道具が堺環濠都市遺跡の各所で数多く発掘されていることから、豪商など一部の者に限らず、広く茶の湯を楽しむ文化が根付いていたといえる。

茶の湯は、美術、工芸、書画、生花、料理、菓子等の幅広い分野にわたるものであり、世界に誇るべき日本の文化として連綿と息づいている。

堺では、現代においても、市民、事業者等によって様々な茶会が催されるなど、茶の湯を楽しむ文化が受け継がれている。これからも、茶の湯を楽しむ文化が大切に育まれてきた堺を誇りに思うとともに、これを次世代に引き継いでいかなければならない。

ここに、茶の湯の文化が息づくまちをめざすことを決意し、この堺茶の湯まちづくり条例が制定される。

 

千利休屋敷跡
4代目 田辺竹雲斎
芥子餅

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